お父さん、だんだんあなたに似てきます
私は父と仲が悪かった。私だけでなく弟も天敵のような人生だった。
父は本当に神経質で細かくて、いちいち「男のくせに」と思うことが多く、小言ばかりの人だった。子供の頃は、玄関の靴の並び方、お風呂みがき、ガスの元栓(絶対に大元の栓を寝る前に点検して回る)、戸締り点検・・・小学生の高学年、中学生と大きくなっていけばいくほど、うっとうしくて、いちいちいわれることがむかついて(こういう言葉は当時はなかったかもしれないけど)、何かいわれるたびに不愉快な顔をしていると、殴るのでなく、ヒステリックに怒り出していた。ちょっとした態度、行動ですぐ怒るため、子供の私たちは父の存在、そのものがうっとおしくて、父が仕事から戻ってくることがいやだった。箸の上げ下ろし(でも、なぜか私は箸のもち方がへん。最後まで意地をはったせいか?)、食事のときはテレビを消す、姿勢、食事をする前に仏壇に手を合わす、お供えを変える・・・。今のわが家ではまったく想像できない家だった。
ある日、父が私たちのぐうたらでふてぶてしい態度に悩んだ末に、大きな模造紙の紙をリビングの壁に貼った。
マジックで、大きく一家の一週間の流れ、作業分担、一日のスケジュールが書いてあった。まるで夏休みのスケジュール作成のようなものだった。壁一面に貼るほどの大きな模造紙・・・。
思春期の私は、その模造紙をみて、なんと息苦しい家だ!と腹が立ち、貼ったばかりの模造紙を壁からひっぺがした。やぷってそのまま自分の2階の部屋へ逃げ込んだ。父が火のように怒ることが想定できていたからだ。でも当時の私には堅苦しくて息苦しくて嫌でいやでしかたがなかった。ところがその日は、ヒステリクに飛んでこなかった。
こっそりとあとからリビングを覗きにいくと父が泣いていた。まるで子供のようにわーわーと大声で泣いていた。近くで母、妹、弟がオロオロしていた。
あのときの父は、自分がほしい「しあわせな家庭のイメージ」を手に入れるために本気で悩んでいたのだと思う。
大きな模造紙を文房具店に買いにいっている父の姿を想像することもなかった。その買ってきた大きな模造紙を床に広げて、マジックで家庭の日程を考えたりしながら、どうしたら子供たちが、ちゃんとした暮らしをしてくれるのだろうか、できるようにするためにはどうしたらいいのだろうか、と父なりに真剣に悩んで書いたのだろう、という姿を考えることはできなかった。
数日前、副社長のさとうに言われた。「あんた、お父さんに似てきたね」「えっ?、うちのお父さんのことよく知っているね」「だって、一度、遊びにいったときに、一つ一つの会話に、いろんな神経をつかって、アドバイスをされていたから、細かいなー、ってびっくりした。あんたがいろんなことに目がいくのは、環境だね、これは」といわれた。
私は顔は父親似だけど、性格は母親似だとずっと思っていた。ざっくばらんでおおざぱでチャレンジャーで、社交的な母。小さなことをあまり気にしないし、若々しくて元気。
でも、経営者になって気づくのは、会社における父親になっているということ。どこにいても、オフィスの鍵はちゃんとしまっているだろうか、全員さすがに帰っているだろうか、お礼状は出しただろうか、お客様にちゃんと応対ができているだろうか・・・そんなことばかり考えている自分がいる。しっかりもののようで小心者。小さなことが気になってしかたがない。気にする数が多いから、逆に自分がその対応ができなくて、相手に迷惑をかけることもしばしば。
6月は決算です。今期も無事に増収を連続します。来期計画を作りながら、「こんな会社にするためにはどうしたらいいのだろう」とあのときの父のように気づけばノートに落書きをしている。
そうだ!と閃いて文具店に模造紙を買いに行って、自分のアイディアを床にひざまずいてマジックできれいに仕上げた父。その一生懸命に作った時間や思いを数分でやぶり捨てた私。もしも今、私がそんなことを社員や娘にされたら、きっと私もわーわーと大声をあげて泣くだろう。
生き方が不器用で細かい性格だった父と、社交的で話し上手の母の両方のDNAをちゃんと私はもらっているようだ。今の私が父だったら、もっともっと代弁して子供たちを味方に導けたかもしれない、と思うけどそれももう遅い。
大学をきっかけに10年以上父に勘当され、再会して4年後に逝った父。結局、あの日の「模造紙事件」については触れないままに別れた。今なら父の気持ちがわかる。40をすぎてやっと。素直にごめんなさいが言える。もう取り返しはつかないけど、父に教わったことが山のようにあることに気づく。どれだけ私たちを愛していたのかも。好きだから、しあわせな家族になりたいから、父は父なりに表現を必死でしていたのだ。
お父さん、だんだんあなたに似てきます。6月は決算月。そして父の日の月です。

