社内で「コミュニケーション不足ですね」という言葉を聞く。コミュ二ケーションっていったい何だろう。コミュニケーション不足ということは、どこかを基点に「不足している」と感じるのだから、コミュニケーションが十分というのはどういう状態なのだろう。
「コミュニケーション不足」と聞くと、次に大抵の場合は、「でも忙しいからなかなかそんなに時間がとれないし・・・これ以上、打ち合わせなどを増やしたくないし・・・」という悪循環の言葉が続く。コミュニケーションとは「会話する時間」なのだろうか。
不満をよくよく聞いていると、【互いの気持ちが理解しあえてない】【相手の意図や真意がみえてこない】ことから出てきていることがほとんどだ。その結果、気持ちが納得しないままに仕事をしたり、時間を経てしまうと、相手への不信感や不安感が募る状態になる、ということだろう。
つまり、コミュニケーションの基本は信頼・安心感の関係の上に成り立っているかどうかが大きいだろう。互いのことをあまり知らない関係のときに、時間をあまりとらないと不信感を持ちやすいが、互いのことをしっかりと知っている関係になると「彼ならこういうだろう」「彼女がこんなことをいうはずはない」など、信じている強さが土台にあれば、自分がふらつかない。
となると、コミュニケーションとは、「気持ちが通じ合えている」という状態をいうのであって、「会話」をすればいいというものではない、ということがわかる。
日々、よく話しているはずの関係でも理解されないケースもある。片方が「かなり話しあっているのですけどね」「いつも言っているんだけどなぁ」というようなことがある。自分がいっているつもりでも「相手には届いていない」ということが問題であって、「口に出していっている」ということがコミュニケーションではないということだ。
それには、表面的な言葉そのものより、「真意」「意図」「思い」「願い」など、言葉の裏側にある「気持ち」「感情」を伝える会話ができるようになる必要がある。本来はテクニックで覚えるものではないのだけど、「相手に伝わる話し方」「相手が共感する話し方」はどうあるべきかを考えることができるような人にならなければコミュニケーション力が高いとはいえない。職場や学校、地域、社会は、自分の考え方とは違う人だらけ。言葉を交わしても、思考、価値観を知らなければ、いっている意味がまったく伝わっていない、ということが多々起りえる。言葉が足りなさ過ぎると、意図が逆さまにとられたり、間違って伝わってしまうことさえある。
最近、ある社員と話をしているときに「朝、あいさつをする人が少ないので、できるだけ自分は大きな声を出して、みんなに気づいてもらおうとしているのですが、なかなか・・・」というので、「それはいいことね。ところで、朝、あいさつをする人が最近、少ないな、と自分が感じているのだけど・・・、ということは朝礼などでひと言いってはみたの?」というと「え?、いってません。いわなくてもわかると思って」という。少し前にも、「みんなお金のことをシビアに考えないので、私は日頃、わざとお金のことを口に出して、みんなに意識してもらうようにしています。ところがお金のことを頻繁に私が口にするから、お金にうるさい人と誤解されているようです。私はみんなが意識してくれるようになってほしい、と思っているだけなんです」というので、「じゃ、自分はみんなの様子をみていて、もっとお金を大切にすべきじゃないか、だから私は意識してお金のことをいっているけど、それはお金のことをもっと大切に意識するようになろうよ、と伝えたいのです、といったことはある?」と聞くと、またまた「え、それはいっていないです」となる。
不思議なことで、人は「肝心なこと」を相手に伝えていないことが多い。その「肝心なこと」は自分にとって「常識」と思いこんでいることが多い。その自分の固定している価値観という思考から物を考え、口に出すので、相手がその「肝心さ」「価値観」が違っていれば、言葉のうわっつらしかとらえることはできない。
大切なのは、「私はこう思っているのだけど」「私はこう感じるのだけど」と言葉は、自分の気持ちを話した上で伝えることだ。そうすれば相手も「そうなんだ。でも、私はこう思うよ」という基本のところから話しができるので、言葉の意味がわかるようになる。それがコミュニケーションになる。
「言葉」はコミュニケーションの道具でしかない。コミュニケーションは「相手に伝わる」こと。「伝わる」とは「互いの心をみせあう」ことなのかもしれない。