<第一章> 幼少期編
生死を分けた『うんてい首吊り事件』
私は、4人兄弟の長女として母方の祖父が院長をしている病院で産声を上げました。
幼少時代は、父が広島大学病院のインターンだ ったため、広島で過ごしました。病気知らずでスクスク育ち、1つ年下の弟や3つ違いの妹と一緒に元気いっぱいの毎日を過ごしていました。
病院のそばの官舎に住んでいま したが、目の前の公園は格好の遊び場でした。その公園で記憶に痛烈に残っている怖い思い出があります。
名付けて『うんてい首吊り事件』。
おてんばで、元気いっぱいだった私は、首に当時流行っていたお気に入りのネックレス型のコンパクトをかけて、いつものように公園で遊んでいました。うんていの端までいって、前転して降りようとしたとき、なんと、コンパクトのチェーンが棒に巻き付いてしまいました。
運悪く、そのチェーンは腕の長さより短く、まだ幼い私には自分の力で体を持ち上げることは不可能で、首吊り状態になってしまいました。たまたま(本当に偶然)公園内にいた大人が気付いて大急ぎで駆けつけて助けてくれたからよかったものの、危うく命を落としてしまうところでした。「その人は、若いお兄ちゃんで、私の命を助けてくれた白馬の王子さまなのよ」と思ってます。
「父のカンで助かった命」
小学校1年の時、医者である父の開業に伴って島根県の江津市に移りすみました。ここで小・中学時代を過ごしました。『サインはV』の影響で小3からバレーボールを始めたスポーツ少女で、クラス委員を何度もつとめました。
「このクラスをまとめるにはどうしたらいいか」「友だち同士のいざこざを治めるにはどうするか?」などよく考えていました。
それが原因かどうかは分からないけど、小5のある日、バレーの練習中に腹痛に襲われ、木陰で休んでいたら、痛みが激痛に変わり、先生の手で担架にのせられ、車で父の病院に送られました。程なくして痛みはとれ、元気になったかのように見えましたが、父の医者としてのカンが働いたのでしょうか?採血したところ白血球の数が異常に増えていました。そのため、大至急手術のできる総合病院に運ばれました。
小学生という理由で切開をためらう病院側と父との押し問答の末、緊急手術を受けました。
父の見立てどおり胃に穴があいていたため、胃の1/3を切除しました。
あの時、父の決断がなければ、手遅れになっていただろうと思います。私自身、痛みのせいで感覚がマヒしていました。3ヶ月に及ぶ入院生活を経験し、小学生にして元気に動けることの有り難さをしみじみと感じました。


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