<第二章> 思春期編

「女子校で男になる・・?!」

私は島根県の田舎町で生まれ、島根県で中学校まで行きました。
高校は、父親からお嬢さん学校に行ってくれと言われて岡山のノートルダム清心というカトリックの学校の寮に入りました。言わずと知れたお嬢様学校で「ちゃんとした教育を受けさせたい」という親心からだったのでしょう。
しかし自由奔放な中学時代を送っていた私にとって「すごいところに来たなぁ」というのが偽わらざる心情でした。

高校に入ってから私は「男」になりました。(オナベになったわけではありません!)バレーボールを続ける傍ら、デュオのフォークグループを組んで作詞作曲をし、学園祭やコンテストに出て唄ってました。気がつけば、黄色い声援であふれ、手作りプレゼントやラブレターを、また、バレンタインにはかなりの数のチョコレートをもらったこともありました。

「武蔵野音楽大学入学までの道のり」

私は別に将来の夢はありませんでしたが、ちょっとだけピアノとギターと歌ができました。
高3の進路指導で「音楽大学はどう」という進路の先生の勧めで決めました。
これは、音楽家になりたかったが叶わなかった父の夢でもあり、娘の私が音大を受験すると聞いた父は大賛成でした。 音大へ進む人は、小さなときから先生に付いています。私は高3から音大を目指しましたから、ほかの授業は捨てて、五線譜の問題集を解いていました。 当時、父は開業医、母は薬剤師で家は豊かでした。

父親が私が突然音大に行くと言い出したので、イタリアでオペラ歌手にしたいと思ったのか、毎週東京の音楽大学の教授のところにレッスンに通わせてくれました。

私は土曜日に東京に来てレッスンに行き、市ヶ谷のYMCAに泊まって、日曜日に帰るという信じられない暮らしをさせてもらいました。
滑り止めの小さな音楽大学もいっぱい受けましたが、だめもとで武蔵野音楽大学を第一志望にしました。

ところが、第二志望と第三志望の大学は落ちたのに、第一志望の武蔵野音楽大学声学科に合格しました。
武蔵野音楽大学は、1、2年生は池袋から西武線で埼玉に入った仏子にあります。3、4年生になると江古田に出てきますが、1、2年生のときは山奥の大変美しい景色の中で大学に通いました。ここでも寮生でした。

⇒ <第三章> 挫折期編を読む

コメント一覧新しくコメントを投稿する ]

コメントを投稿する

メールアドレスとお名前は必須となります。
メールアドレスは管理者のみに通知され、公開されません。

Profile

日野佳恵子(ひの・かえこ)。島根県生まれ。90年創業。女性(主婦)マーケティングの パイオニア企業として注目を集める。企業・主婦・ハー・ストーリィの三者共働型マーケティングを開発する。「クチコミュニティ・マーケティング」は登録商標。 [ 続きを読む ]

日野の生い立ち物語
日野佳恵子の著書
HERSTORY
ハー・ストーリィは、主婦マーケット専門のマーケティング会社です。「主婦の力をプロデュース」を合言葉に、web媒体とリアルネットワークを活用し、主婦のおしゃべりをコンテンツにするクチコミュニティ®・マーケティングという独自の名称で、事業を展開しています。

Information