<第三章> 挫折期編
「自活への道のり」
音大に入学してすぐ、両親の仲が悪化し、離婚調停に持ち込まれていた時期があります。
「離婚することになるけれども、お母さん生きていく自信がないの。明日からどうやって生きていったらいいかわからないの。どうしたらいい?」 私は生きる、生活をする、お金がないということは考えたこともありません。しかし18にな って、この母の1本の電話で、女の人は何という生き方をしているのかと思いました。 そのうちにだんだん腹が立ってきて、何もかもが嫌になりました。何も疑問に思わず、ぜいたくをしてきたお嬢さんが、ある日突然そんな電話をもらって、遅れてぐれてしまいました。
その日1日、寮で考えました。 私は大学を出てから何をするのか・・。イタリ アでオペラ歌手になりたいか。なりたくないです。音大を出たら素敵なお嬢さんになるのか。 自分の母のようになるのか。母は大好きだけども、自分は何をしたくてここにいるのだろう。
真剣に考え、1週間後。自分の判断で退学届をだし、自活の道へと踏み出しました。
「クラブでの弾き語り生活」
退学届けを出した後、私は池袋まで出ました。 池袋の町中を歩いて自分に出来ることは何かを 考えました。池袋で看板を見ていたら、唯一私がやっていけそうなものがありました。音符と ピアノのマークが付いているようなクラブが、 ピアノの弾き語りを募集していました。 そこへ、ピアノの弾き語りをしたいと言って飛 び込みました。「弾いてみろ」と言われて、弾きながら歌を歌いました。
「なかなか面白いじゃん」「雇ってくれませんか」「今夜からステージどう?」「わかりました。でもその前にお願いがあります。絶対に3ヶ月辞めませんから、 給料を前借りさせて下さい。」とお願いをしました。
寮を出てきたので、時給1000円や、 1500円をもらっても住むところがないのです。免許証も何ももっていませんでしたが、そこで3ヶ月お金を前借りしました。 そのまま、池袋周辺の不動産屋でアパートを探 しました。練馬から徒歩5、6分のところに6 畳一間を借りました。その日のうちに手付けを 打ったのですが、布団はない、机はない。ハンガーも石けんもゴミ袋もない。包丁も皿も何も ないんです。戻ったほうがいいかしらと思っても後の祭り、私はその日から歌を歌いながら稼 ぐという人生になりました。
「父からの勘当宣言・・・」
クラブで歌う毎日を送っていました。
ステージは夕方7時くらいと9時くらいの2回、ラッキーな日は12時くらにも歌います。
20年以上前ですが、当時1ヶ月の給料は、ステージを毎日3回やったら30万でした。
18歳の女の子がひと月に30万円も得るのです。「世の中、 ちょろいもんじゃん」と思いました。
ところが、たいした苦労もしないで得たお金は、全部洋服やバックや毛皮に消えていました。
美容院にも行き放題。貯金なんて考えたことがありませんでした。お酒を飲んで、得意なピアノを弾いて、毎日楽しくてしょうがなかった。同級生もいっぱい遊びに来てくれました。
しかし、娘に夢を託した父からすれば、勝手に大学を辞め、夜にクラブで弾き語りをしているのが耐えられなかったのでしょう。風の噂で、 父からは勘当されていました。


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