趣味は?と聞かれたら・・・

数ヶ月前に日経新聞に載ったときに、記事のすみに「趣味」というコーナーがあった。そこに私の趣味は「娘と遊ぶこと」と掲載されたら、この小さなコーナーが、今まで取材などで取り上げられた記事の中で、過去最高の反響?!があった。

そんなに家庭の話は意外なのかな・・・?

もうずいぶん前から「趣味は?」と聞かれたら、「娘と遊ぶこと」と答えている。
こんなの趣味というのかな・・・と思われるかもしれないけど、本当に趣味。
どんな風に趣味かといえば、休みのときは、とにかく彼女を観察し、彼女と同じように過ごし、彼女の思考を楽しみ、会話を楽しみ、関心ごとに付き合う。
もともと仕事がマーケティングということもあるから、彼女の買いたがるものや集めているもの、持っているものも全部、面白い。最近は「クールに冷えるファンデーション」が学校で話題らしい。私も使ってみたい。今度、一緒に買いに行こう!と誘っているのだけど・・・。

もうすぐ夏休みがはじまる。

今年の夏あたりから、私にとっては、とってもつらい。
だって、娘は高校2年。さすがに親より友達や部活が大事。夏休みは一緒に遊んでもらえないかもしれない。だから、どうやって遊んでもらうかをただいま計画中。

女3人 オーストラリアの旅

あけましておめでとうございます!
すっかりプログを止めてしまってすみません。あっという間に年が開けて、2005年のスタートです。
実は年末のクリスマス前から、10日もオーストラリアに行っていました。
今回のたびは、もうすぐ定年退職する母と、高校生の娘の女3人旅でした。
オーストラリアは、私の掲示板で知り合ったシドニー在住のサロン・ド・ユキさんを頼っての押しかけの旅でした。ユキさんは、私の本を読んで、シドニーで女性のコミュニティを立上げられた方です。本業は「淑女養成講座」の先生をされていて、テーブルマナーなどを教えるプロです。
プライベートではありましたが、こんな風に、遠くシドニーで日本の女性が活躍している様子を知りたくて、思い切って訪ねる旅にしました。

10日のスケジュールは、なんとユキ先生自らが組んでくれました。家族全員でもてなしをしていただき、ステキな娘さん、息子さん、ご主人というファミリー総出でおもてなしをしていただき、感動と感激の旅でした。人をもてなすことの大切さをたくさん教えていただきました。

実は10日間、メールを一切しませんでした。ブログがこんなに遅れたのも、パソコンを使わなかったせいです。すみません。
多分、ハー・ストーリィをはじめて15年で、私は年末年始をこんなにプライベートのために使った休暇は、初だと思います。最初の10年は、年末年始といえば、ビジネスパートナーのさとうみどりと、かならずといっていいほど、会社のことで出社していました。

シドニーは、想像以上に最高でした。気候、風景、空、海(とにかくシドニーの地形はすばらしい)、都市環境、町の作り方、人々、自立した考え方、多国籍の人たちの国ならではの文化・・・高層ビル群のシティと、郊外の緑豊かな町並、そして、ホリデーを大切にする時間の使い方なども勉強になりました。

そうそう、10日の間には、娘が高熱を出したり、私もトラブルがあったりで、いろんな経験もしました。今回ほど、多くの人たちに支えられ助けられて自分が存在していることも改めて知ることができました。自分の位置を少し離れてみることはとても必要なことだとも感じました。

みなさまのお正月はどうでしたか。シドニー滞在中に、津波のことを知りました。出かける先の国が違ったことで災害にあった人たちのことを考えると、人間の運命はどこでどうなるのか本当に分かりません。健康で自分の時間を楽しめることそのものがどれほど幸せなことかも感じます。生きていることそのことを大切にし、後悔しない人生を歩みたいと改めてシドニーで感じてきました。
被災された方のご冥福を心からお祈りします。

そしてプログをご覧のみなさまの今年一年のご多幸と飛躍をお祈りいたします。
本年もどうぞよろしくお願いします。

立場と責任

テレビで子どもを平気で虐待したり殺してしまう大人の事件があとを絶ちません。前にも書きましたが辛くてやるせなくて苦しくて、その子たちの気持ちを考えると涙があふれてきて憤りがとまりません。

少し前に娘と話しをしているときに、私が無意識に「そういえば○○さんって、すごく性格がいいのよね。誰にきいてもステキっていうし、みんなほめるのよ」と私の知人のことを話すと、娘が怪訝な顔をして「どうして大人なのに、性格がいいとか悪いとかという話しになるの?大人は性格がよくて当たり前じゃないの?大人同士が性格がいい、といってほめるなんて何だかヘン」といわれました。
教育をうけ、さまざまな経験を積んで大人になります。子どもたちは大人にしかられたり、教えられたりして成長していきます。上から物を言う大人たちが「性格がいい」とほめることそのものがヘンで、性格の悪い人がいることが問題で、大人は子どもからみたら、ちゃんとしていて当然だろう(いや、当然であってほしい)と子どもからすれば思いたい、というのはなるほど分かります。

大人は体も口も腕力も子どもより強いのは当然です。心が育たないまま体だけがしっかりと大人になり、子どもを作ることは誰にでもできてしまいます。そういう性的なことだけは本能的にもっているから、「大人にふさわしいかどうか」は関係なく、子どもを世に送り出し、自分たちの稚拙さ、未熟さを棚に上げて、子どもたちに当たったり、道具や所有物のように扱ってしまう大人が世の中にはたくさんいます。それが子どもから見ると納得できないし、不思議でしょうがないようです。たしかに不思議なことです。極力そんな大人を輩出しない社会を作っておかなければ、これからさらに不幸な子どもたちが増え、愛し方、愛され方がわからない大人が増加していってしまいます。

でも、人間だから完璧なんてありえません。本当は「大人だから」とか「当然」といわれると大人もとっても苦しい。ビジネスの世界でも、責任者、管理者、役員、経営者・・・とにかく人の上に立つ立場になると、「責任者なんだからこれぐらい当然のはず」と部下や周囲から望まれるようになります。自分はたいしたことないのに、そんな立派じゃないのに、と思っていても、目上、大人、先輩、責任者と誰かより立場が上になると、下にいる人は「当然の理想的姿」を望みます。
それを自覚して、未熟な自分をそこに人格を高めていく努力をする人ならまだしも、それができない大人は実はとても多いと思います。

「大人だから性格がよくて当たり前なはずなのに・・・なぜこんな大人が・・・」
子どもから見れば、本当にそれは納得できないことでしょう。
責任や立場を持つことは大変だけど、やっぱりあとに続く人たちのために、できればその期待に応える【責任】を持って生きていかなければ、自分の行動は自分だけのものではなく、未来の人に影響を及ぼしていくのだと感じました。

「性格がいいから大人なの」「大人になるっていうことは性格がよくなるってことだよ」
本当は自信を持って子供にそう伝えたいけど、実は子どもも大人も対して変わらないし、思うほど大人は成長できないことを大人になって知ります。

「大人が性格のよしあしを話題にすることそのものがヘン」・・・という子どものひと言にドキッとし、大人としての立場と責任を改めて気づかされました。

ありがとうございます。

前回、失敗続きで落ち込んでます。と書いたら、多くの方から励ましのメール、書込みをいただきました。感謝です。

でも、改めて自分のイメージを確認させていただきました。だって「日野さんでも落ち込むことがあるんですね」って声が多いんですもの。
これはみなさん、誤解です(笑) 私は前回にも書いたように、かなりの小心者です。でも、経営者のような仕事をする人って、どこか小心者だから、人の表情が人一倍気になったり、相手のニーズに応えたいと強く思ったり、数倍も動いてしまう結果、今日に至るのだと思います。怖いから、さびしいから、それを避けるために必死で、維持、発展させるほうこうにもがく力が強いのだと思います。
私の友人知人は経営者がとても多いですが、外では有名なカッコイイベンチャー起業家や大企業の社長が、とっても臆病で、弱虫で、ぐちぐち悩む姿をみることはしょっちゅうあります。
ある人は「負のパワーが原動力」といわれます。どうしてそこまでがんばるんですか、と聞かれることもありますが、それも「自分に負けたくないから」という人が多いと思います。もちろん勝つとか負けるとか、どっちでもいいことです。そう思えたときは、人間は気が楽になるし、自然体になれます。でも、必死で走っているランナーや、誰もできないことに挑戦していく登山家やチャレンジャーをみることではげまされることや感動することは多いです。

私は「五体不満足」を書いた、乙武洋匡さんのファンです。彼の存在を知ったとき、大きなショックと感動を覚えました。彼の知性、行動、生き方、人柄、笑顔・・・その活動そのものに大きな大きな偉大さを感じます。自分の運命を受け入れ、自分の個性を受け入れ、その上で、自分のできることにチャレンジをしていく力を尊敬しています。
http://sports.nifty.com/ototake/
私に与えられた個性、長所、短所、そのすべてを自分がみとめ、許し、その上でできることにチャレンジしていきたいと思います。

失敗続き

ここのところ失敗続き・・・。久しぶりに落ち込んでいます。

一年に一度か二度、どーんと落ち込む日があります。最近、なかったのでまとまってきています。
バイオリズムといのはたしかにありますね。
近頃、思うのは、自分の能力以上に周囲の期待値を上げてしまったことです。本当は私は力がないのに、今までハッタリを強引に事実にしてきました。だから、何とかここまではホラ吹きにならずにこれました。でも、本当は自分で自分を追い詰めて、無理やりパワーを引き出すために、自分で自分を引っ張りあげてきた気がします。

自分では図にのっている気も横柄になっている気もないのですが、どこかでそんな自分が顔を出しているのでしょう。そんなときは、ちゃんと罰がきますね。山あり谷ありだから人生は面白いし、何もないより、いろいろあるから楽しいのですが、やっぱり失敗は辛いものです。

私は落ち込まないのでは・・・と思っている方もあるかもしれませんが、実はA型でかなりの小心者です。ハッタリを強みに、自分の能力以上のことにぶつかって乗り越えてきた日々です。でも乗り越えたら次の壁はさらに高くなっています。次々に高くなっていって、決して低くはならないようです。「そこに山があるから上る」とはよくいいますが、一つの山を制すると人間は欲ですから、ついついさらに高い山に登りたいという習性があるようです。自分の力を過信すると、こんな風に滑落です。遭難ではなく、少しだけ滑落しただけと思って、上りなおします。

失敗は失敗。とにかく気分を変えて明日のことをしたいと思います。おやすみなさい!

信号のない国

正直、会社を整備していくと、どんどん窮屈な世界に向かう。言い換えれば人を信じない社会へ行こうとしている。
昼食に出ようとすると「書類は全部、伏せて出てください」、パソコン作業の手をとめてトイレに立つときも、「画面はスクリーントーンで」、友人の引越し先をメールすると「メールに、第三者の住所やアドレスの記載はだめ」、企画書を打つと「複製禁止をすべてに表記」、長年のお客様が事務所に遊びに来たけど、「ここから先の進入は申請許可が必要です」・・・。

しかたないけど、当たり前だけど、常識になっているけど・・・でも嫌だ。本当はこんな世の中は嫌だ。どこかのJRで、ホーム内にあるゴミ箱の分別をちゃんと守ってくれない人がいるから、ゴミ箱の側面を切り取って、透明にして中身が全部見えるようにした・・・というニュースが出ていた。ひとりひとりの意識が社会を作る。ひとりひとり意識が環境を作る。ひとりひとりの意識が人権を守る。どれもこれも正義だし、間違っていない。
でも、なんだか嫌だ。どうしてこんな社会になったのだろう。

以前、テレビをみていたときに、交通量のとても多いある国で、なぜか信号がないのに、交通事故が極端に少ないという報告をしていた。解説では、人間は規制を作ると、かえってそれが、大丈夫、安心という常識を作り、結果、スピードを出してもどうにかなる、青だから人は出てこない、横から車はこない、と勝手に決め付けた行動をしてしまうため、咄嗟におきる事故があとを絶たないという。ところから信号がないと、誰もが、いつ、どこから、何かが飛び出すかも、という気持ちで運転をしたり、自転車にのっているので、全員が危機感を常識として暮らしているから、事故が起きないというものだった。

世間では名簿流出の企業や、名簿の売買業者などがメディアを通じて伝えられる。神経質なまでにプライバシー保護を重視している人も増加している。
よくよく考えると名簿流出があっても、悪用されても、電話やダイレクトメールがくれば、しっかりと断ることや、うまい話に乗らない、だまされない、弱みに付け込まれない・・・といった対処力を身につけたほうがいい気がするのだけど、そこにはあまり手をつけられていない。

もっと人を信じて、のびのびと暮らせる社会にしたいのに、逆さまの社会へ向かっていくしかない日々に、どこかさびしさを感じつつやらざるを得ないことが、ときとして悲しくなります。

あいさつの習慣

今日も飛行機にのって移動です。
飛行機に乗っていつもいつも思う不思議な光景があります。

ドアに入るところの左手には必ず整備士の方がいます。
右側と、ドアを入ってすぐはスチュワーデスが出迎えます。
どの人も「おはようございます」「ご利用ありがとうございます」とあいさつをします。飛行機はサービス業というイメージが定着していますから、当たり前の光景になっています。整備士さんのあいさつは、スチューワーデスほど完成されたあいさつではありませんが、会社からしっかりといわれているのでしょう。無表情な感じですが淡々と言い続けています。飛行機の乗客は数百人の規模です。全員が乗るまで、ずっと整備士もスチュワーデスも、あいさつをし続けています。

そう。にもかかわらず「挨拶を返す人は誰もいません」。朝の飛行機はビジネスマンでいっぱいです。各地を飛び回るそれなりのビジネスマンと思っていいでしょう。彼らは、会社では部下に「お客様に大きな声であいさつをするように」といっている可能性は高いのではないでしょうか。CS(顧客満足)が大事だ、と叫んでいる企業も多いのではないでしょうか。それでも場面が変わるとあいさつはしていません。あいさつされていてもです。
私はこの風景がとても嫌いで、整備士さんには意識して「おはようございます」とかえします。ときどき、どうせかえってこないと思ってあいさつをしているせいか、びっくりされます。スチュワーデスさんにも乗るときは、おはようございます。着いたら、ありがとうございました、と出口で伝えます。こうしないと日本の大人が嫌いになりそうなんです。

もうひとつ、もっともっと気になっているシーンがあります。
私が泊まるホテルの中に、汐留のホテルがあります。
このホテルは上層にあり、下はすべてオフィスです。最近、汐留には有名企業やテレビ局がどんどん移転し、まさに近代都市です。
このホテルの下には、あの「資○堂」本社があります。
朝、ホテルを出てエレベーターで一階に下りると、ちょうどこの会社の社員通用口と通路が同じになります。出張してとまるたびに翌日は、この巨大企業の社員通用口の前を通って私は仕事に向かいます。この通用口には、警備員の方が立っています。警備会社がどこかは不明ですが、この警備員の方々のあいさつがすばらしいのです。きちんと背を正し、腕を後ろに組み、快活に、警備員の位置から動かずに通用口に入る社員の方、ひとりひとりに「おはようございます!!」と大きな声であいさつをされます。それはそれは力強い挨拶です。しかし、しかしです・・・資○堂の人たちのほとんどは、ラッシュづかれなのか朝から疲れた顔をして警備員の方を無視した状態で入り口にどんどん吸い込まれていきます。笑顔をかえしている人もいません。皆、前か下をむいて、けだるい表情で足早に入ります・・・。
私が辛いと感じるのは警備員さんに対してです。今日も昨日も彼は元気のいい挨拶を続けているのでしょうか。あいさつは、相手がかえしてくれないと、どんなに訓練や仕事で教育されても、本来の意味が感じ取れないと、むなしくなり、機械的にするだけで、いつしか仕事以外の場所ではかならずしなくなります。あいさつをしたい、という自発的な喜びが得られていないからです。
悲しいけど、考えたくないけど、この資○堂も全国の小売、デパートで商品を売り、接客に力をいれているはずです。にもかかわらず、本社のエリートが、警備の方へあいさつもできないで無視して入り口にどんどん入っていく。

実はこの話し。掲示板で書くかどうかを悩んだ。たまたま土曜日にわが社に通っているコンサルタントの方が、「最近みた光景で異常な感じをもったことがあるんですよ。汐留のホテルに泊まったときに・・・」と、びっくりすることに、私とまったく同じ話しをしだしたのです。ということは多くの人があの光景に異常を感じているんだ、と思うと経営者としてぞっとしてきました。
結局、私たちの結論は、大勢の人たちが利用する場所に社員通路を持ったことは、いい意味でも悪い意味でも会社の姿が全部、みえてしまうということ。社風や人材の文化が見えてしまいます。逆にあれが警備の方にさわやかに挨拶を戻しているシーンをどんどん第三者に見せるとこの会社の評判はぐっと上がるだろうに・・・自分も経営者として、こんなことがどこか自分の会社でも起こっているのではないかと反省もさせられます。資○堂の本社の社長に手紙をかくべきか余計な世話なのか悩むほどです・・・。

家庭の中で、地域の中で、学校で、私たちはずっと「あいさつ」の大切さを習ってきました。にもかかわらず日本中、あいさつのできないシーンばかり。しかも大人がです。ビジネスでは、「感動」とか「お客様満足」といっています。これってやっぱり儲けのためにいっているだけということではないでしょうか。日常のコミュニケーションの習慣にはなっていないのですから、お客様だけに無理やりあいさつを習慣づけるのは間違っている気がします。

たまたま弊社の今日の朝礼で社員の朝のコメントが「あいさつ」についてだった。小学生にあいさつをしても戻ってこない・・・という話しを読んで、私はここに汐留のことをとうとう書いてしましった。次回、宿泊のときは警備員さんにおもいきってメモのラブレターを渡そうと思っています。「出張したとき、あなたのあいさつが楽しみです。ありがとう」と。

そういえば飛行機でもホテルでも見も知らない人が気軽に挨拶をしてくるときがあります。
そのほとんどは外国人の方です。ホテルのエレベーターにのっても「モーニン」といわれます。どこでどうコミュニケーション文化が違ってしまうのか。本気で知りたいものです。

誕生日メール、言葉、ありがとうございます。

いちいちここに書くとかえって宣伝になりますが、今日は誕生日です。
いろんな方からメッセージ、言葉、手紙をいただき感謝です。
本当はあまりうれしくない歳になってきました。

今年も社員から素敵なプレゼントと一人ずつからのコメントをいただきました。
毎年みんなありがとう!

whyを伝える

掲示板でnagomiさんが書いてくれた「why」について書きます。
>>日野さんの会社を創るまでのお話の中で、社員さんたちに必ず、『why?』それはどうしてか?を言ってあげる事を大事にしているというコトをおしゃっていて、人が納得する時って、そういえば、なぜが分かる時だなーと思いました。>>

私の口癖は「○○です」「なぜなら」です。これは講演で多く使います。また相手にもっと納得してもらうためには、「○○です」「どうしてだと思いますか?」と一度聞きます。このほうが、相手がちゃんと考えてくれるからです。
私たちの仕事は、以前にも書きましたが「無形」です。「無形」の商品をお客様に買っていただくには、相手が「イメージできる」「絵がみえる」ように話すことがもっとも重要だと感じています。さらに説明をするときには、「どうしてそうするのか」「なぜそれが大事なのか」「なぜこれがいいのか」を伝えることに手を抜いてはいけないと思っています。
これがいつごろからついた方法なのかと考えてみると、多分、多くの商談経験の中で体得していったものです。自分がどんなにいい企画だ!と思って、わくわくして提案した企画を相手に話しても「君のいっていることはわからない」「よく意味がわからない」「理解できない」といわれることが多々ありました。いい企画ができた!と喜んでいればいるほど、そういわれることはショックで、帰りは自分の自己満足さに情けなくなって、落ち込むということが過去に何度もあります。
最近だってあるんですよ。ある企業のトップの方と話しをしていて「女性女性っていいすぎるんだよ。不愉快だ。そんな考えの女が増えるから幼児虐待とか少子化が進んだ。仕事を考えるぐらいだったら、母親教育に真剣になれ!」といわれたことがあります。半年前のことですが、あちゃーーまたやった!と思いましたね。ひどいことをいうなーと思われるかもしれませんが、私はこういう言葉は、数え切れないほど言われてきましたから慣れています。昔は短期間に何人もにこういう言い方をさせると、それだけで立ち直れないぐらいに落ち込んだものですが、今は、「それも一理あるかも」と思うようにしているのです。だって、相手の気持ちや納得、理解を得られずに、不快感を与えたのは事実ですから、どんなにいい内容の商談であっても、相手が不快に思っては不成立です。自分のしていることは、正しいんんだ、拡げたい!と思えば思うほど、理解者や共感者の数を増やすほうが夢は実現するのですから、不快感を与えては大失敗です。
「なるほどよーくわかった。一緒にがんばろう」こういっていただきたくて、私は私の時間を使っています。無駄なく確実に、理解者を増やしたいと真剣に思っています。
そのために、過去にたくさんの不快感を与えた方の言葉や怒りを思い出して、「どうしたら理解してもらえるのか」「どうやったら味方になってもらえたのだろか」と何度も何度も考えてきた気がします。
その防御対策で、「○○と思います」「なぜなら」ということが訓練されてきたと思います。
これは基本バージョンで、どんな話しも「背景」「ストーリィ」と一緒に話すと、人はイメージはやすくなって理解が早いです。
例/昨日、おいしいりんごを食べたよ。久しぶりにうまかった。
私の例/昨日、友人のお父さんが山形から自分でつくっている自慢のりんごを送ってくれたの。これがおいしいのなんのって、久しぶりに感激した。この、りんご!どうしてこんなにおいしかったと思う?・・・・(聞かれた人・・・えー?蜜が多いとか?・・・と答える) そう!蜜が普通は芯の周りにすこしって感じでしょ。それがこのりんごは割ったら面積の半分近くまで蜜がしみているような拡がりで、もう最高って感じ!

こんな具合です。どうでしょうか。
会社では、「私がハー・ストーリィをはじめた理由」「私が女性にこだわる理由」「私がクチコミと連呼する理由」を語ります。みんなが「why」から理解していれば、自分の体の中に入りやすくて自分の言葉になって語れるようになるからです。「whyを共有する」と、人と人は会話から対話になります。
『whyを伝える』。ぜひ意識してみてください。

お父さん、だんだんあなたに似てきます

私は父と仲が悪かった。私だけでなく弟も天敵のような人生だった。
父は本当に神経質で細かくて、いちいち「男のくせに」と思うことが多く、小言ばかりの人だった。子供の頃は、玄関の靴の並び方、お風呂みがき、ガスの元栓(絶対に大元の栓を寝る前に点検して回る)、戸締り点検・・・小学生の高学年、中学生と大きくなっていけばいくほど、うっとうしくて、いちいちいわれることがむかついて(こういう言葉は当時はなかったかもしれないけど)、何かいわれるたびに不愉快な顔をしていると、殴るのでなく、ヒステリックに怒り出していた。ちょっとした態度、行動ですぐ怒るため、子供の私たちは父の存在、そのものがうっとおしくて、父が仕事から戻ってくることがいやだった。箸の上げ下ろし(でも、なぜか私は箸のもち方がへん。最後まで意地をはったせいか?)、食事のときはテレビを消す、姿勢、食事をする前に仏壇に手を合わす、お供えを変える・・・。今のわが家ではまったく想像できない家だった。

ある日、父が私たちのぐうたらでふてぶてしい態度に悩んだ末に、大きな模造紙の紙をリビングの壁に貼った。
マジックで、大きく一家の一週間の流れ、作業分担、一日のスケジュールが書いてあった。まるで夏休みのスケジュール作成のようなものだった。壁一面に貼るほどの大きな模造紙・・・。
思春期の私は、その模造紙をみて、なんと息苦しい家だ!と腹が立ち、貼ったばかりの模造紙を壁からひっぺがした。やぷってそのまま自分の2階の部屋へ逃げ込んだ。父が火のように怒ることが想定できていたからだ。でも当時の私には堅苦しくて息苦しくて嫌でいやでしかたがなかった。ところがその日は、ヒステリクに飛んでこなかった。
こっそりとあとからリビングを覗きにいくと父が泣いていた。まるで子供のようにわーわーと大声で泣いていた。近くで母、妹、弟がオロオロしていた。

あのときの父は、自分がほしい「しあわせな家庭のイメージ」を手に入れるために本気で悩んでいたのだと思う。
大きな模造紙を文房具店に買いにいっている父の姿を想像することもなかった。その買ってきた大きな模造紙を床に広げて、マジックで家庭の日程を考えたりしながら、どうしたら子供たちが、ちゃんとした暮らしをしてくれるのだろうか、できるようにするためにはどうしたらいいのだろうか、と父なりに真剣に悩んで書いたのだろう、という姿を考えることはできなかった。

数日前、副社長のさとうに言われた。「あんた、お父さんに似てきたね」「えっ?、うちのお父さんのことよく知っているね」「だって、一度、遊びにいったときに、一つ一つの会話に、いろんな神経をつかって、アドバイスをされていたから、細かいなー、ってびっくりした。あんたがいろんなことに目がいくのは、環境だね、これは」といわれた。

私は顔は父親似だけど、性格は母親似だとずっと思っていた。ざっくばらんでおおざぱでチャレンジャーで、社交的な母。小さなことをあまり気にしないし、若々しくて元気。
でも、経営者になって気づくのは、会社における父親になっているということ。どこにいても、オフィスの鍵はちゃんとしまっているだろうか、全員さすがに帰っているだろうか、お礼状は出しただろうか、お客様にちゃんと応対ができているだろうか・・・そんなことばかり考えている自分がいる。しっかりもののようで小心者。小さなことが気になってしかたがない。気にする数が多いから、逆に自分がその対応ができなくて、相手に迷惑をかけることもしばしば。

6月は決算です。今期も無事に増収を連続します。来期計画を作りながら、「こんな会社にするためにはどうしたらいいのだろう」とあのときの父のように気づけばノートに落書きをしている。
そうだ!と閃いて文具店に模造紙を買いに行って、自分のアイディアを床にひざまずいてマジックできれいに仕上げた父。その一生懸命に作った時間や思いを数分でやぶり捨てた私。もしも今、私がそんなことを社員や娘にされたら、きっと私もわーわーと大声をあげて泣くだろう。
生き方が不器用で細かい性格だった父と、社交的で話し上手の母の両方のDNAをちゃんと私はもらっているようだ。今の私が父だったら、もっともっと代弁して子供たちを味方に導けたかもしれない、と思うけどそれももう遅い。

大学をきっかけに10年以上父に勘当され、再会して4年後に逝った父。結局、あの日の「模造紙事件」については触れないままに別れた。今なら父の気持ちがわかる。40をすぎてやっと。素直にごめんなさいが言える。もう取り返しはつかないけど、父に教わったことが山のようにあることに気づく。どれだけ私たちを愛していたのかも。好きだから、しあわせな家族になりたいから、父は父なりに表現を必死でしていたのだ。

お父さん、だんだんあなたに似てきます。6月は決算月。そして父の日の月です。

そうか、父子家庭・・・

昨日、女性の結婚、出産について語ったばかりだというのに、そのあと、テレビを見ていたらショックな特集をしていた。離婚の増加とともに、父子家庭は8万3千世帯あるそうだ。
番組では、小さな子供を2人抱えて、頻繁に熱を出すために会社にいずらく仕事を探すお父さんの様子や、年頃の娘と会話が難しく悩むお父さんの姿などがあった。保育園のお迎えやお弁当、食事、洗濯、そして病気・・・それらをやりくりしながら、男の人が仕事をすることは、女性以上に壁が高いことがよーくわかった。思わず涙が出てしまい、料理、洗濯に不器用そうなお父さんの姿をみながら、家事、育児は女性のほうが向いているわ・・・と実感した。
何より仕事との両立は本当に大変そうだった。たしかに女性が母子家庭で・・・というとまだ社会の理解があるほうかもしれない。男性が夕方5時に毎日お迎えにいったり、熱を出して保育所から呼ばれたら帰宅しなければならない、という状態で、快く仕事をさせてくれる場所は本当に少ないようだ。
離婚が増えると、こうした家庭、子供たちが増えているのだろうと思うと、胸が辛くなる。
子供たちの未来のために、もっと根本的にできることは何だろうと考えずにはいられなくなった。
父子家庭のおとうさん!がんばってください。きっと応援者はいます。子供も分かる日がきます。
家事と仕事で休めない日々でしょうが、それって凄い偉大なことです。責任をまっうしようという姿に感激しました。

夢と使命感

夢は何?夢はある?ビジョンは?といろんな場面で聞かれる。私自身も夢を持とう、とか夢を大切にしよう、ということをよくいう。でも、本当は夢が見つからない人がとても多い。それも感じること。どうしたら夢が見つかるか、どうしたら夢をもてるのか、そんなことを漠然と考えることも多い。

五空のイベントのネタ続きだけど、二部で、若手経営者3人がトークショースタイルで、いろんな質問カードに応える企画をした。その中で、「夢と情熱について語ってください」というカードがあった。チャネットの益田社長のコメントは、私には新鮮だった。「僕は夢は個人のエゴに聞こえてしまうので持っていないんです。僕が起業したのは、夢ではなく使命感からです。使命感があるからしたいことがたくさんある」と。正直、ハッとした。私が今までハー・ストーリィをしてきた理由は、夢ではなく使命感だ、と気づいた。というか使命感に駆られて「やりたいという欲求」が生まれ、それが「夢」と自分で思っていた。たいしたことではないと思われるかもしれないけど、これはとても大きな気づきだった。わかっているようで、改めて考えてみると夢の前提に「使命感」がある。もしかしたら夢が見つからない人は、「自分のしたいことは何だろう」とついつい「自分の好きなこと」「自分が得意なことの延長線上でものを考えがちだから、「でも、これって本当に自分のしたいことなんだろか。夢になだろうか」という思いが沸いてしまって夢に自信が持てず、走れないのかもしれない。ところがもしもこれが「誰かのために何とかしなければ」と強く感じたら、したいことはおのずと見えてくる。しかも「誰もしないなら自分がなんとかしなきゃ」なんて思ったら、もう十分だ。子供のため、妻のため、愛する人のためでもいい。自分の夢は、誰かをしあわせにすることだ、と気づいたら自分の存在価値も見出せる。身内以外でも、地域のため、学校のため、イラクのため、世界のため・・・・と思う人ほど、行動をしている。だからボランティアで海外へ行く人たちは、若くても迷いなく危険地帯へいく。普通の人はあぶないのに・・・とかリスクや危険を先に考えるけど、使命感から入っている人は、その迷いがないのだ。

そういえば私は、人の採用でもっもと重視するのは、「あなたの夢は」「あなたは将来どうなりたいの」「どんな女性の生き方を目指している」と質問をすることがある。このとき、無意識に、本人のなりたい夢よりは、「私は多くの女性にとって・・・」「私は世の中の企業がもっと女性を生かしてほしい」といったように、第三者に対しての使命感を語る人を高く評価している。この視点は、あとあとかなり大きく行動に影響してくる。使命感のある人は、挫折にも強い。やるべきことが明確だからだ。自分の夢の場合は、「ちょっと違ったかも」「私は適してなかったかも」ということがあると、モチベーションも下がりやすい。使命感のある人は気持ちの持続が長い。ちょっとしたことでいちいち悩んでいるわけにいかない。もっとしなければならないことがたくさんあるからだ。益田社長は、「事業は継続ですから、使命感が僕を維持させています」というようなことをいわれた。

夢と使命感
これは、志の高さと比例する。夢を見つける前に「誰かのために」を考えてみたことはありますか。それで十分、あなたは夢を持った人です。

女性は企業存続の鍵?

世の中、男も女もないことは十分承知しているけど、長年、女性を意識したビジネスをしているととにかく感じるのは「女のほうがタフ」ということ。

男性は基本的にシンプルでわかりやすく、強がるけど実は不利になると突然ポッキリと弱くなりやすい面がある。これは数々の仕事現場でみてきた。ところが同じ現象が起きても女性の場合、いざというときには「どうにかなるわ」というタイプのほうがどうやら多いので、強い。
日本は、自殺人口が世界一といわれる。豊かな国でありながら。その多くは中高年の男性だという。またホームレスが増加しているが、その多くは男性で、女性の数はかなり少ない。女はどうにかしてどこかでなんとか生き伸びていくのだろう。いろんな面で生きることへの執着が強い。
元来、母性がそれを作り出しているのだろう。男も女も・・・とにかく世の中にいるすべての人間は母から生まれている。「母」の存在は、父の存在感とはまったく異なる「人間のふるさと」のような場所なのかもしれない。男性の強さも弱さもすべて包み込むのが「母」の強さなのだろう。

女性の女としての底力が生かされる仕事の場面が増えてきているように思う。
ビジネスの世界は、もともとが理論、理屈の場面が多いので、男性の方が長けている。政治、経済の場面は、たとえアメリカといえどやっぱり比率でいうと男性が多い。これはもともとの得意や適正の違いがあると思う。でも最近は、女性の強さと男性の理論を合体させることで、さらにパワーアップしよう、という企業が私の周りに増えている。互いの特性と能力を認めあい、支えあい、新しい形のビジネスや組織、社会に変化をしている気がする。世の中は【変革】と叫んでいるけど、それは女性にとってはとてもいい傾向の社会であるのかもしれない。男性と同じように働く形ではなく、女性と男性のよさを認め合ったビジネスモデルづくりに、私は力をそそいでいきたいと思っている。

タフでずうずうしくて元気な女性の特権は、上手に生かせば、そのまま「企業存続」「企業の土台づくり」「企業の長期的視点」につながる気がする。とにかく女は長生きで丈夫。単純にそれを企業寿命と重ね合わせてみると会社づくりにも生かせると思っているのですが・・・

素直な心になるために

明日からまたまた仕事です。GWのほうが疲れてしまうのは私だけ?

今日は出張の移動に備えて、本を山のように買い込んできました。私のおすすめブックを読んでくださっている方が多いので、またまた更新をがんばります。
私は、移動が本当に多いので乱読で買います。出張すると異常にカバンが重くなってしまい、最後は本を出張先から送る、ということもしばしばで、何のために出張しているのか、というぐらいに移動しながら買い込んでいきます。

明日の出張に備えて買ったのは、文庫本で30年来のベストセラー松下幸之助翁の「素直な心になるために」です。ここのところ新卒採用、中途採用、育成というテーマに頭がいっぱいなのですが、いきつくところ、目の前の優秀さよりも「素直な人」が急成長していくことに気づかされます。もちろん仕事の場合は、ただ素直なだけでは駄目なのですが、はずしてはいけないのがコレなんです。そういう意味では、たまたま本屋で目に入った文庫本でしたが、さすが松下幸之助翁も「素直」をテーマにさせていたのか・・・と今さらながらに自分が時間をかけて気づいてきた結論を大物は、ちゃんとわかって後世にいい伝え残していくのだな、と器の違いを知らされました。

松下幸之助は、人を採用するときに、常に「素直で愛嬌のある人」と答えたと聞きます。
技術に長けた人、頭のいい人、てきぱきした人、成績のよい人・・・企業には必要なスキルやプロが必要ですが、必要なスキルとあわせて、「素直で愛嬌があるか」を選択の基準にしたというのは最近よくわかります。素直というのは、最高の強みです。本の中で松下幸之助翁は、「素直な心とは、単に人に逆らわず、従順であるというようなことだけではありません。むしろ素直とは力強く積極的な内容を持ちます。私心なく、くもりのない心、一つのことにとらわれずに、物事のあるがままをみようとする心といえる。そういう心からは物事の実相をつかむ力が生まれてくる。素直な心とは、真理をつかむ働きのある心だと思います。物事の真実を見極めて、それに適応していく心だと思うのです」・・・・

素直な人が集まれば、真理がつかめ、正しいか悪いかの区別がつき、何をすべきか、何が大事かがおのずとわかる人たちだから、力強い判断力のもとに適応して進める・・・ということのようです。素直な人づくりを考えたいものです。
まずは、自分からですね。。。私はすぐに「でも」「だって」と言い訳をします。これは夫にも母にも子供にも注意され続けて直りません。理屈っぽくて、負けず嫌いで、正当化する私を素直な心にするには、どんな風に浄化していくといいのかな。

仕事好きというより「もっとよくなりたい」に興味がある?!

友人の経営者に「とにかくあなたはいつも仕事のことを考えているわよね」といわれる。そう、私はどんな場面でも仕事のことを考えている。でも、仕事といっても自分の仕事のことが頭から離れない、という意味ではない。どうやら私は「もっとよくなりたい」願望が高く、その中でもわかりやすいのがビジネスだから、ビジネスを考えることそのものが好きなのだ。どこにいても何をしていても、もっとこうしたら伸びるのに、もっとこうしたら売れるのに、もっとこうだったら繁盛するのに・・・ということばかりを考える。だからブティックにいっても、喫茶店にいっても、本屋にいっても、どうだったらお客様が増えるか、喜ぶかを考えている自分がいる。で、四六時中考えて数十年なのだから、さすがにプロになれたのかもしれない。最近は、何屋さんの相談も大抵は引き出しのデータがすばやく動き、異業種のデータとも複合的に結びつき、さまざまなビジネスがある程度、筋道がとおって見えてくるようになった。こんな私だから商売をしている友人や親戚には本当に重宝がられる。私は、基本的に人が元気になっていくことが好きなのだ。もっとよくなってほしい、しあわせになってほしい、成功してほしい・・・心からそう思ってしまうので、誰に対しても身内気分になってしまう。・・・といってもビジネスの場合、客観視がとても大切だけどね。

「もっとよくなりたい願望」・・・これだけは私の自慢。現状維持が苦手なのだ。

うーーー、弁当生活

春うららもあっという間に、五月晴れ!
娘がはれて高校生になったのはいいけど、、、、そうだったのだ、弁当。
しかも何を間違ったか、学区のまったく違う高校なので、遠くて朝は早い・・・。
今週火曜からはじまった通常授業だったけど、月曜、火曜、水曜と出張していた私は、とにかくなんとか自分でして!と頼んで3日間さぼった。本人はコンビニ弁当を詰めなおしたり(一応、手作り風?に変身させてしまう涙ぐましい知恵?)工夫をしてしのいだらしい。
で、木曜、金曜と私の番。たまたま仕事が今はハードな時期なので、深夜2時、3時まで原稿作業をして、眠った・・・と思ったら「弁当つくってよーーー。それだけが親子のつながりの証なんだから」とわけのわからない脅しで起こされる。
初日はなんとか、家にあるものを詰め込んだ。昨日、「おいしかった?」と聞くと「ひとつずつがでかいのよね。気持ちはわかるけど」との回答。ぎく。だって品数ふやすとたいへんなんだもん。
誰に似たのか(・・・というか間違いなく夫)娘は、時間厳守、早起き、前日ばっちり準備派。私のようなルーズな人が会社をしているのが、信じられないという。
2日目の今日は、昨夜、買い物ができなくて、やっぱり昨日のあまり変わらない?内容になったけど、かわりばえしないかな、といくつか品数を増やしてみた。。。と、しっかりチェックにきて「何?このカマンベールチーズ?空間にこのまま丸ごと入れればいいってもんじゃないでしょ」とまた文句。そう、一品はカマンベールチーズを包ごとツマミのように入れたのだ(苦笑)
そしてさらにさらに、「部活、高校は運動部系のマネージャーになろうと思うのよね。この家からだったら5時起床が多くなるかも」とたたみかける。ぎやーーーーー頼むから弁当、自分で作って!と懇願したら「ほら、どうせ出張のときは作るから、やっぱ、交代で、いるときぐらいは愛でしょ、愛」といわれた。ぐすん。
そういえば明日は、脚本家の田渕久美子さんとのトークショー。田渕さんが有名私立小学校に子供
をいれていたけど、お弁当がつくれなくて、子供に頼んで公立にしたという話しをされていたのを思い出した。弁当って、たしかに愛だけど、すでに2日目で大変。こりゃ、出張を入れたほうがいいなぁ、と思う私はひどい母なのでしょうか・・・。小生意気な娘が、今朝の出掛けに「日曜日は死ぬほど寝たいわ」といったひと言だけが、「よし、お前も人間か」と妙に納得したのです。
ということは、土曜の明日も弁当????

卒業式

朝は娘の中学の卒業式でした。
これだけはなんとか出席しておきたいと早くからスケジュールを抑えておいたかいがありました。
中学はお年頃になる入り口で、本当にいろいろありました。先生に呼び出されたこともあれば誉められたこともある多感な三年間でした。

全体には無難な卒業式でしたが感動的だったのは式典の最後に、体育館の電気を全部消して、窓に暗幕を張り、暗がりで一つずつ窓を開けると、各クラス別のステンドグラス(窓にカラーのビニールフィルムを張って絵を描く)が光をあびて美しいデザインを浮かび上がらす、という趣向でした。全6クラスあり、すべてのクラスの作品が、体育館の窓に大きく浮かび上がります。
なんとてもいえず美しく荘厳で大掛かりな作品でした。娘のクラスの作品では、「このデザイン案は○○さん」と娘の名前が呼ばれ、「あー、こんな場面で自分らしい仕事をしてるのか」と思わず見直して涙ぐんでしまいました。外光が眩しすぎて撮影はできなかったけど、素晴らしい演出でした。自分が子供の頃を思い出すと、父兄の席にいる自分がなんだか不思議です。

少し残念なのは、平日が卒業式という点。だから父兄席はほとんどがお母さん。お父さんの姿は数人だけでした。理由は、公立の入試の発表のあとでは子供たちがかわいそうだから・・・ということらしい。そんなものなのでしょうか。でも、それが人生だし、そうした喜びと悲しみを繰り返して乗り越えて成長するのだから、可哀想というのは私は疑問の気もしています。昔はどうだったのだろう。母親だけの卒業式はなんとも腑に落ちないのですが、とにかくここまで成長してくれた姿は感動でした。

午後はあわてて福岡へ出張。よくまあ、こんなバタバタの母親のもとですくすくと・・・。いい卒業式でした!!支えてくださったみなさま、本当にありがとうございました。

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娘が無事、高校合格がきまって、最近はかなり親子でおゃべりやお出かけがふえた。
そんなとき「いろんなオトナの人にいつもいつも繰り返し同じことを聞かれるのが嫌なのよね。お母さんが忙しいから家のことが大変でしょう、とか、食事はどうしているの、とかさ。はっきりいって結構、お母さん、フツーに家にいるのにね。ご飯なんてしょっちゅう作ってくれるのに、よっぽど何もしないと思われているよ。」とのこと。

実は、フツーの母親のようにはもちろん家にはいません(笑)週一日は外泊がある生活をここ数年はし続けています。
ただ、土日はほとんどいます。いるといっても会社に出勤することもあるし買い物もするし、ドライブもするし旅行もするけどね。
娘にとっては、週一回から二回の出張日程以外は、全部、家にいるじゃん!ってことらしい。
私は逆に週一回から二回の出張の日に飲み会なども入れることが多いので、それ以外は飲みにも出ないから(お酒も強くない)たしかに家にほとんどいるかもしれない。母親と考えれば外泊は多いほうなのかもしれないけど、フツーの父親に比べたら、週四、五日は家でご飯を食べているし、家でドラマを見たりしゃべっているから、しっかり家にいるのだ(笑)

講演の仕事が全国津々浦々になってきたので、スケジュールを見た方が「よっぽど家にいないで飛び回っている」とイメージされるらしいけど、実際、こういうスケジュールになって気づくことは、日本って本当に交通が便利ってこと。新潟だってコミューターで広島から1時間半ですよ!広島から近所の島根県にいくよりずっと早い(笑)
十分日日帰りできるし、会社に帰ってから一仕事できます。熊本も二時間、東京だって空の上は一時間。海外だって近いのです。
・・・ということで、みなさま、懐さえあえば、主婦業を十分しながら「ちょっと午後から東京へいってかえるわ」なんていえるのです。

娘の先生方、ご心配をかけます!ということで、私はほとんど家にいます。料理はたいしてうまくないですが、なかなか母してます。何より娘自身が「いつもいるのにねー」といっているのだから大丈夫だと思います。

保留

最近、仕事をしていて思うのは、「保留」だ。
何をするにもスピードの時代に、即断即決できない人が多い。「ちょっと数日、考える」というのだけど、私の経験から、数日考えたら、大抵はマイナス方向にいってしまい、行動しなくなる。
思ったが吉日、という言葉があるように、即動く、即決めるほうが何事もいい結果に導くことが多い。「いい結果」とは失敗もふくめてである。行動した者のほうが、経験、体験、実践がつめるから、それだけで問題点や課題、新たな発見が見出せるので、何かしたいな、と思ったら迷わずにやってみることだと思う。もちろん、何も考えてない・・・というのは困るから、「やるとしたらどうするか」とか「やるために問題は」という思考で、少し考えることは重要だと思う。一歩下がって冷静に客観的に物事をみて、できるだけ「いい形で実行したい」というのであれば、それはそれでいいと思う。
問題は、何もしないことだ。多くの企業さま、在宅ワーカーの人と仕事をしていると、本当にびっくりするほど動きの早い人がいる。少し前におしゃべりしていたことを数日後には実行に起こしている人がいる。かと思えば、いつあっても何年たっても同じことをいっている人がいる。これもまたびっくりだけど・・・。

「保留」の数は自分の性格。決断できる自分になると世の中の流れが変わってみえる。悩むときは、できるだけ、前にすすめるためにどうしようか、と迷う方がいい。そんな自分をつくるようにしたいものだ。

仕事は私事、志事

この言葉はあるとき、自分で思いついて、講演の最後によく使う。とくにビジネス向けの講演ではなく、起業体験や生き方を振り返った話しをするときに。

仕事の時間は、自分の時間にかわりがない。自分の時間なんだから、自分のために仕事をしている、という意識で仕事をしよう、というものだ。よく「プライベートの日はどうしているのですか」とか、「仕事一筋」とか「仕事馬鹿」とかいうけど、私は仕事とプライベートをそもそも分けようと思うから、仕事が大変、とか仕事で疲れる、とか休みたい、と思うのだと思う。
休む・・・とは体を休める、と理解したい。つまり睡眠をちゃんととる。ときにはゆったりと本を読む、ときには旅をする、ということだろう。でも、それもこれもすべては自分の時間の中。自分の人生のひととき。ならば本も、旅も、癒しも、結局はそうした充電でさらに仕事をパワーアップされるのだ、と考えれば、どれもが自分の人生を豊かに充実させるための「仕事」であり「志事」なのだ。すべてが仕事と思えば、私は意図的にどんなに忙しくても本を読むこと、旅をすること、エステにいくことをする。それもこれも「仕事」をさらに豊かにするからだ。忙しくて休めない、とか忙しくて本も読めない、という人は、だから忙しいのだ。どうしたらもっと効率よくできるかも本屋にはたくさん方法論が公開されている。どうしたら輝いて生きられるか、も本屋には山のようにある。忙しくて・・・は、忙しくならない方法を学ばずに我流で自分の時間をいっぱいいっぱい使いきるからではないのだろうか。仕事で成功する人は、お客様とアポイントが入った、と思うのと同じだけ重要視して、自分のお茶の時間、本の時間、店を見る時間、旅の時間を入れる。すべて「仕事のアポイント」とすればいい。お客様のアポイントと作業だけが「仕事」と思っていると、「仕事」はできない。いつ原稿を書くのですか?いつ本を書かれるのですか?と聞かれることがある。「書く時間」は、自分とのアポイントとして手帳にメモる。私自身とのアポイントの時間を確保しているだけである。
もちろん、それでも追いつかないことは多々ある。それで周囲に迷惑をかけてしまうこともある。メルマガや掲示板、自分で書いている情報誌、出版、企画書、講演のレジメ、社員との打ち合わせ、商談、ミーティング、役員会・・・とにかくスケジュールは詰まる。
でも、基本は、仕事は私事。そして志事と思うこと。忙しいけど、このおかげで、いろんなことが訓練されていく。いろんな体験を持つことができた。大勢の人と会ってきた。仕事は私事なのだ。
常に前進をイメージしていれば、志も少しずつ高くなっていくと信じて、仕事をする。

悔し涙とコンプレックス

女の会社だからなのか、涙はつきもの。
泣くな!といいたいけど、男より女のほうが涙腺が弱いのか、弱虫なのか(これは違うと思うけど)
したたかなのか、とにかく女は、いざというとき、よく泣く。
ただし、うちの社員の場合は、悔し涙が多いようではある。
誰に悔しいかというと、大抵は、「自分に」のようだ。

自分に腹立たしい、自分が情けない、自分に悔しい・・・こんな台詞をよく聞く。それだけ負けず嫌いが多いのか。(ここ見ている人が多いから)誰?と思われたくないけど、はっきりいって個人ではなく、複数、多数です。(あれ、もしかして私がいじめてるってこと・・・今、書きながら悩んだ・・・)
でも、【涙の数だけ強く・・・】と24時間テレビじゃないけど、悔し涙は成長の可能性大。進化の証。悔しいと思わない人は成長しない。こっちからみたら、すごーく優秀でも、多くは他人との比較によるコンプレックスから来ていることが多い。AさんはBさんをうらやましく思い、Bさんは逆にAさんをうらやましく思っていたり、CさんもDさんも互いにそうだったり、とみんな隣の芝生の輝きをみて、自分の芝生をさらに磨こうとしているのだから、見上げたものかもしれない。

そういう私も創業当時は、まあ本当によく泣いていた。もともと子供にいわせると私は「友達などの周囲に見たこともない泣き虫」だそうだ。意外でしょうか。ただし、ご想像のようにテレビ、漫画、小説などです。ドラえもんでもちびまる子でも泣きます。
あ、これは悔し涙でもコンプレックスの涙でもない話しでした。でも、昔は本当によく泣いていました。その当時はやっぱり悔しさがバネでした。がむしゃらのときでした。今ももちろんそうですが、世の中の構造、流れ、志向が見えた分だけ、少し冷静になってきました。
ときどき社員たちの悔し涙をみながら、おーーー、いいぞ、また伸びる!とうらやましくもあります。悔し涙は、まだまだ自分の中にパワーもゆとりも成長の幅もある証拠なんです。コンプレックスはそういう意味では、ありがたいです。人間、自分におごったときが停止です。

乱読の効果

私は仕事柄、流行っているもの、売れているものには関心がある。
中でも乱読は本。時流や時代を感じるものは買う。

先週、娘が「Deep love」を読んでいた。この本は携帯小説として若者に広がり、本になったものだ。「アユの物語」「ホスト」「レイナの運命」「パオの物語」とシリーズで出ていて、いずれも売れている。しかし、はっきりいって愚作だ。メールが原稿ということもあり、横書き文字で、稚拙な文章。たまたまどこにでもいる若者がはじめたメール小説がブレイクした、という感じだ。
内容も十七歳の援助交際、渋谷の遊んでいる子たちの姿、自殺、暴力、やくざ、麻薬、セックス、ホスト、ホステス、けだるさ、あきらめ・・・など、かなり暗い。普通の親がこの本を読んだら、すぐに取り上げるか怒って排除かもしれない。しかし、メール社会では親の知らないうちにこうした情報は、見つからずに広がっていく。

「へー、読書してるの?」たまたま私が聞いたので、「この本、売れてるの。今、流行ってて友達から借りた」といった。「何の本?」「・・・お母さんは知らないだろうけど、Deep loveっていうの・・・」ちょっと後ろめたいようだ。「そうDeep Love読んでるんだ。どれ?お母さん、ほかのをもってるよ」といったとたん、彼女はものすごい驚きの顔で奇声を発した。「うそーー?なんで?なんで?普通、親は読まないでしょう!」とケラケラ笑う。そのあと、よほど刺激だったのか、友人知人に携帯で、「あのさー、うちのお母さんがDeep loveもっててさぁ・・・」という調子だ。

しかし、このことがあって、この本を題材に、共通のテーマができた。普通、大人ができるだけそらしたいというテーマだらけの本である。子供に近づけたくないと思う内容だが、逆をいえば、排除しようとすればするほどしのびよる。学校から先日持ち帰ったプリントは、「暴走族に入る前に電話をして!」というものだった。確実に子供たちは危険と隣り合わせ。
だからこそ、ふたりで、この主人公をどう思うか、この携帯小説をどう思うのか、こういう暮らし方をどう感じるのか、といろいろ会話をした。いい機会がもてた。
彼女たちの読んでいる本を読んだおかげで、どうやら親近感と、共感を親に持ったようだ。
あれ以来、たびたび私たちは、この本の話題で、ディスカッションになる。そういう意味では乱読もたまには役に立つ。

でも、この掲示板を読んだ方へ。買うほどの本ではありません。読んでどうなるものでもない本です。メリットどころから心が辛くなるだけの本です。
ただ、こうした稚拙な文章、言葉だからこそ、多くのフツーの若者に広がるのでしょう。そういう社会勉強をする気で必要と思うのなら、立ち読みで十分です。
近く、映画化され、竹中直人なども出演するらしい。これが時代なのだろう。

3つのショウ

今日は、シュガーレディという冷凍食品で高付加価値の商品を作っている企業の女性の方々に講演をさせていただいた。テーマは「仕事を通じて魅力的な女性になる方法」。
シュガーレディは私の著書の中でも取り上げているクチコミで伸びている会社の理想モデルと思っている企業。さすがに講演をしていても、熱心で前向きな様子がビンビンと伝わってきて話やすかった。
最近はクチコミをテーマにしたビジネス向けの講演が多いので、久しぶりに自分にとっても刺激だった。私はやっぱり女性の輝く姿をみるのが基本的に好きなのだ、とこういうとき改めて感じる。

その中で、久しぶりに思い出してお話をしたのが「3つのショウ」という話し。これは、私がまだ研修や講演会の講師側に立つのではなく、企画会社の担当として企業研修に立ち合っている時に学んだ話しだ。女性を魅力的にするには「微笑」「衣装」「気性」が大事。この3つを意識すると魅力的な女性になれる、という話しだ。女性の生き方や魅力づくりについて、多くを教えてくださったのは、元スチュワーデスの瀬戸真智子先生。彼女の講義は、多分、数十回とたち合わせていただき、自分の中で自然に記憶しているいい話がたくさんある。研修の師匠だ。いつも元気に大きな声で、ときに笑い、ときに本気で怒り、ときに褒めて、ときに動き回って、多くの女性たちにエネルギーを与えてくれていた。今は少し仕事をセーブされていると聞くが、久しぶりに彼女の講義が私の中によみがえって、ホワイトボードに書いていた。今は仕事柄、この意味は十分分かるし、さらに消費者心理を研究すると、初対面の人は視覚で8割型イメージを決めてしまう、というのがあるので、微笑⇒笑顔、衣装⇒服装、化粧、姿などのイメージ、気性⇒人をひきつける人格・・・といった補足もできる。こうして考えると、人間の知識や経験は一夜にしてできるものではなく、小さな経験の積み重ねの上に自分の体験、感情が加わってはじめて自分の言葉として自然に身についていっていることがわかる。そういう意味でも環境は大きいので、20代、30代の人は、できるだけ魅力的な先輩の話、魅力的な人と会える場所に自らで向いていってほしいと思う。それが未来の自分の身になっていることは間違いないと思う。

ステージが変わると環境が変わる

昔、自己啓発セミナーなどをうけていると、よく「自分が変われば他人が変わる」という言葉を聴いた。当時は、「なるほど!」と素直に感動した。最近、自分の経験で感じるのは、そうしたさまざまな言葉、体験、出会い、刺激をうけて、自分と戦いながら日々を過ごしていると、いつしか、自分自身が気づかないうちに別のステージへと押し上げられているということだ。そして、そこには別の環境がまっている。ある本に、富士山だけを見ていると日本一高いけど、エベレストと比較すると低い。目の前のことにとらわれて自分のはかりで計らず、比較するものを替えると見え方は換わる、というのがあった。また、富士山とエベレストでは、同じ登山でも頂上から見える景色はまったく違う、というのもある。
たとえば講演会の依頼は、昔は、近くの公民館から依頼されて5000円や一万円で出向き、どきどきして話しをしていた。イベントで講演者をお招きすると、20万円とか30万円といわれて「高いーーー」と驚愕し、なんでこんなに取るのよー、頼むところがあるわけ?と思ったものだ。ところが最近は、決して高飛車になる気はないけど、あまりに講演のご依頼多くて、本業に支障をきたすため、それと同じような金額をいただいて調整をさせていただいている自分がある。それでも多くの方にご依頼をいただき、自分でも驚くし恐縮する。先日は仙台で講演をしたら、会場には北九州から私の講演のために仙台にきた、という方にお会いした。こちらの方が目頭が熱くなるし、そうまでしてきていただいている方に、自分が精一杯できることは何かを考えさせられる。近所に5000円でいっている時代とは、まったく別の責任とプレッシャーが襲う。
出版についても、昔は本を出す人はすごい人だ、と思っていた。もちろん凄い人がいっぱいなのだけど、自分が出したことは偶然で、まだまだとんでもなく素人だ、と思っているのに、最近多いのが、書評、帯へのコメント、出版物内へのメッセージの依頼。日頃、たしかにほかの本を読んでいると帯に推薦者の声とかあとがきへ寄せたメッセージとかを目にしたことがあるけど、まさか自分が頼まれる側になるとは考えたこともなかった。今月は二冊の今から出版される素晴らしい本の書評とコメントを書いた。こうした仕事は、出版されるぎりぎりの段階で、ゲラのコピーが一冊分全部送られてくる。それを事前に読み込んで、コメントをメールすると書籍の中に名前入りで載る。
今からベストセラーになるかもしれない(というか本当にそのレベルの本が届く。書評やコメントの依頼はそれだけ出版社の力の入れ方も分かる)本を世の中の人より先にゲラ刷りで読ませていただく機会にめぐまれ、中には帯で私が絶賛!なんてのをコピーにしたい、といわれることがある。なんで私?いくらなんでも違うでしょ?と思うのだけど、相手は「そう思ったら頼みませんよ」という。
なんだか、自分でも不思議でしょうがない。どこでどうなったのだろう。自分の歩みはじめた道はステージでいうとまだ五合目。創業当時から比べたら、たしかに半分ぐらいは登ってきた、と自分では思いたい。でもまだまだあと半分。これからが勝負。でも登山道の入り口にいたころと、五合目では、環境がまったく違う。世の中ってこんなに違うのか、、、、と今、とても感じている。
まだまだステージを登りたい。滑落も雪崩も天候不良もあるかもしれないけど、頂上から見える空と空気と下界を見てみたいし、そのときの環境を楽しみに歩みたい。

生きているこということ そして彼ら

ちょっとセンチメンタルな話しですが・・・。
年末の27日。本当に会社が最終の日に、弊社の社員がクライアントと大声で激論?激戦?激闘?の打ち合わせをしていました。男性のその声はとても血気盛んで、パワーがあり、フロアの経理や総務の面々も顔を見合わせてびっくりの印象を残して去っていきました。
担当社員とは、「かなり大変そうだね」と会話をしましたが、それだけビジネスに真剣に向き合っている方だというのは、対応をしなかった私の耳にも十分感じ取れ、厳しくてもこういう方と仕事をすると社員も成長するだろうな・・・とほほえましくも思ったぐらいです。

年明けて訃報を知りました。弊社にこられた2日後、亡くなられたというのです。動脈が切れて、自宅から救急車で運ばれましたが手遅れだったそうです。51歳の所長さまでした。言葉がありません。どうしてそんなことが現実にあるのでしょうか・・・。いえ、これも現実だと知って私たちは生きるべきなのかもしれません。

創業当時、テレビ番組で弊社が取り上げられたときに、クライアントの声が必要だといわれ、協力をしてくださった住宅メーカーの支店長がいました。画面で本当ににこやかに弊社のことを褒めてくださり、無事に放映されました。その後、お礼をいいたいと事務所に伺うと亡くなられたといわれ愕然としたことがあります。その映像が元気な当時の最後の記録となったようです。この時期、社員研修のたびにこのビデオを流します。会社の原点となるこのビデオの中の彼はとても輝いています。
その後、少しずつハー・ストーリィも仕事が増え、テレビ局の子供番組の制作にかかわることになりました。そのときに司会、企画で協力をしてくれた仲良しの女性がいました。美人で声が綺麗で小さな子供をお互いもっている働くママだったので意気投合しました。彼女は肺がんを宣告され、もう手遅れと自分で知り、なんと今までの取引先、友人知人、仕事仲間に全部、「さよなら、そしてありがとうございました」の挨拶回りを元気なうちにしたのです。言葉がありません。どうにもしてあげられないのです。でも本人が覚悟をきめているのですから、みんなも笑顔であいさつをしました。あのときの坊やも今年は高校生のはずです。

まだまだあります。起業家としてライバルだった彼女、イベントを成功させるのに燃えた彼・・・縁起でもないといわれるでしょうか。でもこうして生かされていても明日があるのは当たり前ではないのだと彼らに教えられました。私はよくビジョンや夢を語りますが、本当は今を生きていることそのものに全力をそそぐことが前提だと思っています。10年後のプランを確実に手にいれることができるのか、明日で終わるのか半分までいけるのか、ぎりぎりで間に合わないのか、それとも30年後までも手に入れられるのか。そんなことは誰にも分かりません。
だからこそ、今日をどう生きるのか。
もしも私が倒れたらきっといわれます。年末の彼のように。「仕事か゛忙しかったもの。過労だよあれは・・・」と。でも、長さと密度の考え方もあるように思います。
私は今のうちから身内には、明日突然いなくても、「絶対に私は後悔してないからね。めちゃくちゃしあわせだったんだからねー」といっていたことを思い出してね。といってます。

そんな心構えを与えられずに消えた彼らもいたと思います。とても残念でなりません。心からご冥福をお祈りします。そして生きている私たちはその命の限りと大切さを意識していくべきだと私は思っています。今年も健康であることを祈りつつ・・・

Profile

日野佳恵子(ひの・かえこ)。島根県生まれ。90年創業。女性(主婦)マーケティングの パイオニア企業として注目を集める。企業・主婦・ハー・ストーリィの三者共働型マーケティングを開発する。「クチコミュニティ・マーケティング」は登録商標。 [ 続きを読む ] 日野佳恵子のfacebook

日野の生い立ち物語
 
HERSTORY
ハー・ストーリィは、主婦マーケット専門のマーケティング会社です。「主婦の力をプロデュース」を合言葉に、web媒体とリアルネットワークを活用し、主婦のおしゃべりをコンテンツにするクチコミュニティ®・マーケティングという独自の名称で、事業を展開しています。

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